12月に入り討ち入りの日
が来ましたね。昨日から今朝にかけて赤穂の大石内蔵助四十七士が吉良の殿様の首を打ちに行ったと言う昔の実話です。山と川との合言葉。
元禄15年12月14日
江戸の夜風をふるわせて響くは山鹿流儀の陣太鼓、しかも一打ち二打ち三流れ、思わずハッと立ち上がり耳を澄ませて太鼓を数え「おう、正しく赤穂浪士の討ち入りじゃ、助太刀するは此の時ぞ、もしやその中に昼間別れたあの蕎麦屋は居りあわせぬか、名前は何と今一度、逢うて別れを告げたいものと、けいこ襦袢に身を固めて、段小倉の袴、股立ち高く取り上げ白綾たたんで後ろ鉢巻眼のつる如く、なげしにかかるは先祖伝来、俵弾正鍛えたる九尺の手槍を右の手に、切戸を開けて一足表に踏み出せば、天は幽暗地は皚々たる白雪を蹴立てて行く手は松阪町…
吉良の屋敷に来てみれば、今討ち入りは真最中、総大将の内蔵助、見つけて駆け寄る俵星が天下無双のこの槍で、お助太刀をば致そうぞ、
云われた時に大石は深き御恩はこの通り厚く御礼を申します、されども此処は此のままに槍を納めて御引上げ下さるならば有難し、
かかる、折しも一人の浪士が雪を蹴立てて、サク、サク、サク、サク、サク、サク、「先生!.「おう、そば屋か?
いや、いや、いや、いや、襟に書かれた名前こそ誠は杉野の十平次殿、わしが教えたあの極意、命惜しむな名をこそ惜しめ、立派な働き祈りますぞよ、さらばさらばと右左、赤穂浪士に邪魔する奴は何人たりとも通さんぞ、橋の袂で石突き突いて、槍の玄蕃は仁王立ち…
私はカラオケで良く歌いました。笑笑。この時期になるとスナックでも歌っていました。12分間の歌と詩吟になります。笑笑。丸暗記をしていました。
さてさて12/14は昔から雪の降る日です。赤穂浪士は江戸迄良く歩いたものですね?貧乏な赤穂藩が吉良の殿様に虐められていた為にお家断絶覚悟で朝の内匠の殿様が刃傷をやらかした話です。大石内蔵助は仕返しを企んで吉良の屋敷に討ち入り山と川との合言葉で戦い、遂に吉良の殿様の首を取リました。